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佐渡裕さんバーンスタインを語る、シューマン2番との不思議な縁 [オーケストラ]

12/3(木)にBSでやっていた「佐渡裕、バーンスタインを語る」という1時間半の番組の録画をみました。いや~良かったです!

佐渡さんが10時にスタジオ入りして、20時半までかかって録画した番組です。佐渡さんが1987年にアメリカのタングルウッド音楽祭で初めてバーンスタインの指導を受けてから弟子入りして、1990年に亡くなる3ヶ月前に日本でPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)音楽祭で最後の指導を受けるまでを、とことん語り尽くしていました。

佐渡さんがタングルウッド音楽祭で弟子入りを懇願したとき、翌年ドイツのシュルスタイン音楽祭でオーディションに受かったら弟子にしてやると言われ、佐渡さんがRシュトラウスのドンファンを指揮することになった前日のパーティーで、「裕、英語はしゃべれるようになったか。Rシュトラウスについてスピーチしてみろ」と言われて、困った佐渡さんは「R.Straus was a composer(Rシュトラウスは作曲家だった)」といったらバーンスタインは「Of course!(あたりまえだ)」と言って不機嫌になり、佐渡さんのこの一言でパーティーは台無しに。「明日うまく指揮できなかったら代えるからな」と言われ、佐渡さんは徹夜で勉強して翌朝の演奏に。しかし冒頭の指揮を振り下ろしてもうまくいかない、そこにバーンスタインが指揮台に来て、フリッツライナーは5cmの動きだけで出たんだと言って自らオケを何回か指導して、ようやくオケがついてこれるようになったところで、「こんな5cmで出られるんだから、裕のすばらしい指揮では出られないわけないだろ」と言って助けてくれたそうです。そして練習が終わった後、オケの前で「裕、さすがだ。おまえはこの曲のすべてを知っている」とわざと言ってくれたそうです。そして後でこっそり「kからmは勉強しておくように」と言ったそうで、まさにそこは佐渡さんが勉強が薄かったところだったそうです。

その後、ウイーンフィルでもマーラーの演奏に1ヶ月間同行したこと、カラヤンとの遭遇、1989年ベルリンの壁崩壊の第9演奏会のこと、遺志を着いてキャンディード全曲を指揮したことなど、いろいろ語り尽くして、最後に佐渡さんは、1990年6~7月に札幌で行われたPMF音楽祭で来日したときの話をしました。このとき佐渡さんはブザンソン指揮者コンクールに優勝してプロの指揮者としてデビューしていましたが、ボディーガードでもいいから同行させてくれと猛烈にアピールして、結局指揮できることに。これはオーディションに受かった若手の音楽家をアジアから集めてこのとき限りのオーケストラを作って演奏するというものです。映像が残っているのですが、佐渡さんは当時29歳、バーンスタインはリハーサルの時も舞台に上がってきて指揮の仕方を教えていました。

そしてバーンスタイン自身はシューマンの2番を指揮することになっていました。奇しくも1961年に初来日したときのメインの曲がシューマンの2番だったそうです。最後の曲が同じ曲。バーンスタインはこの曲に特別の思い入れがあった曲のようです。佐渡さんは「運命の流れを感じる」とも言っていましたが、ベートーヴェンでもブラームスでもない、シューマンの交響曲の中でも最も演奏の機会の少ない曲を取り上げたのでした。

佐渡さんが成田に迎えに行ったら、バーンスタインはこんな疲れた姿は見たこと無いと言うぐらいぐったりしていたと言うことでした。バーンスタインは既にこのとき、がんに侵されていました。そして音楽祭の開会式で「私が次にやることは作曲でもないピアノ演奏でもない、若い人たちに教えることだ」と言ったそうです。そして若い人たちにぶつかっていく熱いリハーサルが繰り返されていました。3楽章の指導をしてるときあのがらがら声で旋律を歌いながら「これこそ音楽なんだ」と言っていました。佐渡さんのその頃の読譜力では理解できないような細かい解釈をしていて、どれだけ狂おしいものか、解説してくれたそうです。

7月3日に行われた演奏会は大成功、しかしバーンスタインはやはり疲れ切っていて体調を崩し、急遽帰国することに。成田に見送りに来た佐渡さんにバーンスタインは「昨日から何も食っていない。味噌汁しか飲んでいない。しかしおまえのの顔を見たら、急に何か食べたくなった。サンドイッチを頼んでくれ」と言って食べたそうです。そして搭乗口のゲートに消えていくとき、「おまえにBig Good Byeを言わなきゃ行けないときが来た」と言ったそうです。佐渡さんは空港に行く車の中でマネージャーの佐野さんにバーンスタインは余命幾ばくもないことを知らされていたのですが、バーンスタインのこの言葉を聞いて、デーッと涙を流したそうです。

バーンスタインはその3が月後1990年10月14日に帰らぬ人となりました。10月3日に東西ドイツ統一(ちなみにこの日はながぐつの長女の誕生日です)、前年にはカラヤンも他界していて、ひとつの時代が終わったのでした。

この前の日曜日、川越フィルでシューマンの2番をやったばかり、しかもバーンスタインの音源を繰り返し聞いていましたので、感慨ひとしおです。

PMF音楽祭でもバーンスタインのドキュメンタリーがDVDで出ているのでamazonで注文しました。明日届いたら、今回かけなかったリハーサルの様子も含めて改めて記事にしようと思います。

以下は、YouTubeに載っていたPMF音楽祭でのシューマンの2番の動画です。熱血漢バーンスタインの一端がわかると思います。 

まずはリハーサル、4楽章の冒頭です。

次は本番、3楽章の途中です。

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ユーフォ

Big Good Bye
私も相方にはしっかり伝えたい。
by ユーフォ (2010-12-04 21:22) 

センニン

バーンスタインは後進や若い人の教育にとても熱心でした。
好みは別にして、カラヤンやバーンスタインのようなタイプの「巨匠」はもう出てこないかもしれません。
by センニン (2010-12-05 21:29) 

yablinsky

感動的な話をありがとうございます。
私はバーンスタインの演奏好きですが、この話は知りませんでした。

by yablinsky (2010-12-07 22:52) 

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