バーンスタインのシューマンの2番、佐渡さんの本「僕いか」 [オーケストラ]
PMF音楽祭のバーンスタインのDVDと佐渡裕さんの「僕はいかにして指揮者になったか」という本を買って見て、読みました。(仲間内では「僕いか」と呼ばれているそうです) 以下です。
バーンスタイン/与えるよろこび The Last Date in Sapporo 1990 [DVD]
- 出版社/メーカー: ニホンモニター株式会社ドリームライフ事業部
- メディア: DVD
バーンスタインの若者達を情熱的に指導する姿が感動ものでした。6月の札幌といっても結構暑く、冷房がないらしく、バーンスタインはだらだら汗を流しながら指導していました。もっと薄着にすればよいのにと思うのですが、体調のせいでしょうか、めちゃくちゃ厚着でした。
シューマンの2番の2楽章のコーダ、本番ではなんとヴァイオリンを立たせて演奏していました。まるでのだめで出てきたR☆S(ライジングスター)オケのベト7の終楽章みたいですね(このときはバイオリンは楽器を持ち上げただけなので、それの上をいっていますね)。2楽章はスケルツォで、弦楽器の細かいパッセージが終始出てきます。オケ入団のヴァイオリンのオーディションによく使われるとのことで、川越フィルのトレーナーの都響のM先生もそうおっしゃっていました。それほど難しいパッセージをうまく弾けていたので、バーンスタインがゲネプロの時に提案したそうです。本番では楽章の合間にも関わらず、客席から大きな拍手が送られていました。
佐渡さんの本にもバーンスタインとのエピソードがたくさん載ってて良かったです。ほとんど独学で指揮の勉強をしてきた佐渡さんのことを面白い奴だと思い、いろいろ気にかけてくれてたようです。佐渡さんのとこと「おれはジャガイモを見つけた。まだ泥がいっぱいついていて凄く丁寧に泥を落とさなければならない。でも泥を落としたときは、みんなの大事な食べ物になる」と知人に語っていたのを亡くなった後聞いたそうです。
ブザンソン指揮者コンクールの最終選考に残った段階で、佐渡さんはレニー(すでにバーンスタインと佐渡さんはレニー、ユタカと呼び合う仲でした)に連絡すると、「何で一言も言わなかったんだ」とむっとした様子だったが「結果は神様だけが知っている。祈るしかない」と言って、楽屋で祈り続けていてくれたそうです。
佐渡さんはバーンスタインのヨーロッパの演奏旅行についていって、プライベートの飛行機に乗せてもらったり、一流ホテルの何室もあるスイートルームに呼ばれて付き合ったり、とても目をかけてもらっていたようです。バーンスタインの弟子はたくさんいるようですが、前回の記事で書いたようにPMF音楽祭から帰国する際「Big Good Bye」と言ったように、佐渡さんを自分の後継者だと思い大切に育てたのかもしれません。
佐渡さんの本には、高校の吹奏楽部の指導をした面白いエピソードも書いてあります。これについては次回書きたいと思います。
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